Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

「勤怠を管理する」という難儀

同じ職場で働く仲間であったとしても、各人には様々な勤務状態というものがある。


皆勤でずっと通している人、しばしば突発休をしてしまう人、仕事は休まないけど作業密度を上げずにわりと楽を取ろうとする人、作業をどんどん引き受けて残業がかさんでしまう人、平気で遅刻をする人、始業時間より無駄に早く出社して余分に仕事する人など、その状態は様々だ。


で、もちろんこれには「心理」ってやつが多いに働く。心の状態ってよりは、人間関係を含めた外的な環境により心が(あるいは心に)「特定の作用を及ぼす」仕組み、つまり心理だ。当然人の心ってのはそれ自体を他の人から知覚出来ないが、外的環境に影響・作用される心理を掴むことは可能だ。



職場で勤怠管理プロジェクトってのがあった。たかだか各部署の意見をひろく聞くための打ち合わせに「プロジェクト」って言葉を使うのはいかがなものかと思う。まあ仰々しい。だけど、他部署の勤怠状況を、その状況によって不利益を蒙っている人たちの声として聞けたというのは意外とためになった。少しまとめてみる。



・部署やチームの「仕事の性質」によって勤怠状況は変わる


まず、1番多かったのが「代替可能で簡易な業務担当の部署は突発休が異様に多い」というものだ。事務仕事で言えばデータ入力や書類整理など、比較的難易度の低い仕事や、もしくは電話の一次受付など、一定の判断力が必要だとしても、取引先との実際の交渉が発生しなかったり、上司など圧力となる他者が目の前にいない、あるいは時間がたっぷりある作業、つまり「ゆるい仕事」全般だ。


これは当たり前と言えば当たり前だ。「自分が休んでも代わりがいる」という状況は容易く仕事への責任感・緊張感を見失わせてしまう。


また、往々にして「ゆるい仕事」は時間単位ごとの報酬が低い。つまり給料安い。代替可能であることや、こういった勤怠状況への予想も踏まえた上で、組織はリスクを低減する意味も含めて給与額を決定している。というか、そういった心理の集合知が「職種の給与相場」として広く社会的に形成されてしまっているはずだ。


責任感や緊張感が発生しにくく、かつ給料安ければ、当然の帰結として「突発休」の発生率は高くなる。その人が朝起きて「今日はだるいな…」と思ったり、もしくはプライベートで心理負担の大きい失恋や家族のゴタゴタなどがあれば、「仕事に行かなければ!」という使命感のような動機は限りなく軽くなってしまう。仕事内容の性質は、勤怠状況を決める大きなウェイトを占めている。いわば初期条件だ。



・教育や人間関係によって勤怠状況が変わる


次に、「わりとゆるい仕事内容」だけど、「勤怠状況は悪くない」部署が、なぜそうなのかをヒアリングした。


その部署は、昔は勤怠状況がガタガタであったが、今現在は好転しているという。大幅なメンバーの入れ替えがあり、新規メンバー追加の際に「教育」をしたわけだ。


「事前に連絡しなければ、別なメンバーがどれだけ負担しなければいけないのか」とか、「単純作業であっても、それが滞ることで他部署にこれだけ迷惑がかかる」とか、まあ世間一般で言うところの「社会常識」だ。だが、他のどんなことにでも言えるが、「当たり前のこと」ほど人は油断するし軽視する。だからこそ、「ここでは当たり前のことを当たり前に行わなければ必要とされなくなる」と、最初に明言して叩き込む。その代わり、というわけではないが「当たり前のことがきちんと出来れば、わたしたちは君を重宝するよ」という人間関係を敷くわけだ。


つまり「教育と人間関係」によるバインド。仕事に限らず、これは家族から村社会から会社組織から、ほとんど全ての「共同体」のルールの元となる原型と言える。



・等価交換のルールが共有されているか


基本的に上の2つが満たされていれば、その集団の勤怠状況はそこまで酷くならない。だけど、人は容易く「自分の不都合を過大評価・他人の都合を過小評価」してしまう。平たく言えば、「あの人が休んだことで自分が不利益を蒙った」ということを「不当に」強く感じてしまうわけだ。


そこで、「あの人は突発休してしまったことで、あの人自身これだけのデメリットを負う」ということを、きちんと部署やチームで共有することで、少し大目に見られるようになる。休んでしまった事情を知って、その人への態度もある程度までは緩和出来る。「ルールと個別事情の共有」は、教育と人間関係の効果を持続させ、強固にすることが出来るだろう。周りのメンバーやマネージャーが、継続的に働きかけることで改善されることなんだろう。


軽くまとめると、次のようになる。


・突発休という問題は「心理」の問題であり、当人の性質だけに依らない。
・仕事の内容と給与のバランスが、当人が突発休をしてしまう「初期条件」に設定される。
・初期条件に補正をかけるために「教育と人間関係」がどうしても必要になってくる。
・既存のメンバーも含めて、この初期条件と教育と人間関係についてのルール共有が継続的に必要になる。


これさえ実践出来れば、勤怠状況というのはある程度改善するんじゃないだろうか。逆に言えば、上記が実践出来ているのに勤怠状況が悪い・離職率が高いという職場は、客観的に見て「ブラックな職場」と言わざるを得ない。


個人の性質に期待したり、依存したり、すればするほど、特定の個人に負担が偏ってしまったりするだろう。上記のようなおれの考えが誤っている可能性はいくらでもあるが、確実に言えるのは、「○○の人間性が悪い」と、特定の個人へ責任を押し付けたとして、その時の感情は満たされても状況自体は改善しないということだ。ルールとシステムというのは、個々人ごとの能力や性質の差分を強制的に平均化するためのものだからだ。



ってことを考えても、現状の自分の仕事が楽になるわけではないなぁ、んなこと1時間も2時間も十数人の時間割いて話し合うことじゃないよなぁ、などと醒めた目で会議を眺めてました。


全員が残業しないだけの人員雇って、作業分担を責任範囲の広さと重さで細かく切り分けてきちんと単価を決めて、労働時間をもっと思い切りフリーにすれば、「突発休」って減らせるんじゃないのかな…ってのが個人的な願望含めた意見です。それが出来ないから、「会社側が通したいルール(社会常識)」が強固で頑固過ぎるから、「個々人の事情と感情が衝突」してしまい、結果「突発休」が発生するんじゃねえかなと。


written by iHatenaSync