ここ数年…
なんか、とにかく最近疲れている。
走って息切れするわけではない。
考える力が衰えたと感じるわけでもない。
ただ言葉は浮かぶ。
浮かぶ言葉をゆっくり形にする時間が無い。
慌ただしいと言えばそれだけかもしれないけれど、そんな言葉ひとつには収まらなくて、もっと無数の何かが浮かぶ。
昨晩は小腹が減っていたけど、もう納豆1パックだけ食べて、あとは休息に充てるために少し熱めの風呂に浸かり、早々に寝た。23時に寝て、1時20分に起きてまた眠り、3時半にまた目が覚めた。本当に何も手が付かない、何も考えられない、動くのも無理、という状態なら、寝朝6時頃まで寝ているけど、この頃は途中で目が覚めることが多い。
ただ、呼吸はやたら深い。息をするのがすごく楽で、なんだかずっと息を吐いていられる感じだ。吐いた分だけ身体が沈んでいくような。寝る前の入浴に効果があったんだなと感じるのと同時に、夜途中で目が覚めてしまうのは、別に今始まったわけでなくて数年単位で続いてることだと久しぶりに気付いた。
楽で深い呼吸を布団の中で繰り返しながら考える。あれ、これ自体がそもそも病なのでは?と。それで自分の普段の行動を、いくつも振り返る。他の周りの人たちの行動と比較しながら、照らし合わせてみる。
…あんまり「ふつう」の範疇からは外れてないような気もするのだけど、これでスルーしてはいけない気がする。よく考えた方がいい。そもそも周りの人たちも「疲れて」ないか?
息が切れるわけでもない。
考えたり説明する力が衰えたわけでもない。
ただ、個々人が、日常生活や社会生活から何を要求されているのか。
人によって要求されているものは異なるだろう。だけど、その要求全般の様々なハードルは、徐々に上がってやしないだろうか。
細切れの時間で寝たり食べたり話したり楽しんだり、それは「悪かない」けれど、決して「自然」ではない。
自然じゃない、ということではないだろうか?
当たり前のように深くラクな呼吸をしたり、疑問も抱かずに夜から朝まで途切れずに寝る、というのが自然だとすれば、やはり途切れ途切れの睡眠は不自然だし、深くラクな呼吸に気付いて感動するのもまた不自然だ。
なんてことだろうか。
「自然でないこと」は、病の一形態なのではないか?
じゃあこれらの日常生活が迫ってくる要求全てを拒んで、色んなものを投げ捨てて、すぐさま自然と一体化出来るか?と言えば、それはとても難しい。人間関係や金や己の内に形成された価値観など、つまり「生活」が掛かっているからだ。
とりあえずどうすればいいか、と明けゆく朝の空を見ながら、久しぶりに日記を付けようかと思った。