Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

ありがとうの利便性

仕事柄、とにかく電話多い。
日次のルーチンからして「イレギュラー事態」への対処なので、その中でもさらにイレギュラーな事態も往々にしてぶち当たる。

イレギュラーな事態にぶち当たった時に、必ずといっていいくらい揉めるのが、「言った言わない」の水掛け論で、履歴残ってない時なんかはもう泥試合みたいになる。

そんな仕事してるから、対応に際して簡単に「ごめんなさい」してはいけない。こちらが悪かった、という意思表示は、あくまで確証取れた時に限る。でないと、泥沼化した状況に対しての交渉で切れるカードも切れなくなる。



だから、おれはもうだいぶ前から「ごめんなさい」を「ありがとう」に置き換えるように意識している。

相手方から指摘あった時は、どちらが悪いとある程度判断出来ても、「ご指摘ありがとうございます」と。こちらから話を仕掛ける時は「お話聞いてくれてありがとうございます」「ご協力ありがとうございます」だ。これだけでクレームに発展する可能性がグッと減る。

もちろん、本当に自社サイドに手落ちがあって確認が取れていれば迷わずお詫びする。その後の対応について、丁寧に説明しお願いした上で、相手が了承してくれれば、それが快くだろうと渋々であろうと、まず「ありがとうございます」だ。なんて便利な言葉なんだろうか。


泥沼化した状況なんて、本当はどちらの側だって望んでない。だから、こちらから先制して感謝してしまえば、相手の態度だって軟化する。どんなに感謝の言葉言ったって、「ああ、悪いのはそちらね」って言質は絶対取られない。「あの時あなた、ありがとうって言ったじゃない!」なんてヒステリー起こす担当者なんてほとんどいない。社内でも、それが原因で自分の立場は悪い方へ傾くってことはない。「ありがとう」についてだけは、いくらでも筋の通った弁明が可能だからだ。


…っていう短い仕事論書いてみたけど、あんまり役に立たないかもしれない。クレームに溢れた場所ではおれの想像を絶するくらい苛烈な戦場になってるかもしれないし。

ただ、これから子どもに躾をしていく、誰かに何か教える、という立場の人はもしかしたらこんな意識が役にたつかもしれない。

ごめんなさいも、ありがとうも、通常の挨拶とは異なって、立場やパワーバランスを変える言葉だということだ。謝りグセのある子どもは、必ず人間関係で苦労する。「ソースはおれの体験」ってやつでしかないけど。反省するということと、「ごめんなさい」を言うことは必ずしも一致しない。世にはごめんなさいをしょっちゅう使っていながら、同じことを繰り返す人なんていくらでもいる。

「反省」って内的変化は、必ずしも「ごめんなさい」という言葉に集約されず、片や言葉には外側にある人間関係のパワーバランスを変える力がある。「ごめんなさい」はここぞという時に使えばいいのではないか。相手の怒りを鎮める効果それ自体はとても有用なのだから。そうでも無い限りは、何か反省点があれば自分の中でガンガン反省すればよく、相手には「指摘してくれて本当にありがとう」って感謝しておけばいい。

そんなふうに思った。