Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

「コストでコストを減らす」仕組みを作れないか

なんでこんなに1人に仕事が集中するんだろう。


いい加減バカバカしい。1人で何でもかんでも背負ったら、単位当たりの作業効率落ちるのなんて目に見えてる。効率が下がれば、単位当たりの作業にかけられる時間とエネルギーもまた目減りして、ただただ悪循環でしかない。忌まわしいこと夥しい。


この状況を鑑みるに、次のような要素が原因だと思われる。



・無能な人には仕事量を回さない


・仕事回されない人は経験値が貯まらない


・でもその人が続けるのは有能/無能で特に報酬に差異が無いため


・有能/無能で大きく差異が出るのは責任範囲の広さ


・責任範囲が広くなっても報酬は比例するようには増えやしない


・作業効率を上げても空いた時間に作業入れられて、時間単位当たりの作業単価が安くなり、結果損する


・仕事回される人ほど何かの「まとめ役」も任されて、より時間と単価がきつくなる


・かと言って仕事しない人、無能な人には決して責任を投げない。失敗されても困るから



こういったことを考えていった先にあるのは「無気力」とか「情熱の喪失」とか「組織の不活性化」だと思う。たいがいバカバカしい。「努力する」価値なんて無いように思えてくる。ちょっと喜ばれる、ちょっと褒められる、ちょっと自信が持てる…そういうのマジ要らねえから金か時間に換算して寄越してくれ。最近ホントにそう思う。


でも、そう思ってるだけってのもつまらないから、こういう「真面目な人ほど損をする」、「努力するほど不公平の差が開く」というアホな状況を改善する妙案って無いものか、少し考えてみた。



【依頼時に社内で自身の給与を融通しあう】案


折衝の引き継ぎ、責任範囲の拡張、飲み会の幹事、その他諸事の引き受けなど、責任や面倒ごとの重さによって「依頼者から請負者に対して、自身の給与から相当額を支払う」仕組みを敷いたらどうだろう。


これ、みんな凄いスピードで仕事覚えるし対応出来るようになるんじゃないか。


「損したくない」


「あわよくば得出来るかもしれない」


「この案件は本当に他人に振るべきか」


「この定例会は本当に開催するべきなのか」


「自分が有能になりさえすれば、みんなに一歩先んじられる」


「今の仕事を楽にして、誰か他の人の仕事を引き受けられないか」


「仕事は出来るけど、頼られないのは自分が話しにくいオーラ出してるからじゃないか。少し改めようか」


「余分な仕事って無くせないだろうか」


そういう思考回路に、切り替わるんじゃないか。


おれは、「あの人が喜ぶからやってあげよう」とか、「自分がやらなきゃみんなが迷惑する」とか、「誰かのために」って動機は、実は凄い弱いエネルギーしか生まない気がする。いわゆる、ホスピタリティってやつかな。それは、特に組織集団みたいな場では。それがくだらないかって言えば、もちろん大切な気持ちだとは思う。でも、それは身の周りの家族とか、友達とか、恋人とか、そういうささやかでファミリアな関係にさえ向けてあげられれば、それでいいんじゃないか。


別に、自分の仕事さえ出来て、ある程度不測の事態にも対応出来るスキルがあって、自分の仕事を効率化して楽にする程度の計画性があって。人を頼らなくても大丈夫ならば、一切の損失は出ない。ただ、巧くやれば得することが出来て、それは決して「ズルをする」とかではなくて、それが制度として公正な承認を受けているっていう状況は、人を強く衝き動かすと思う。



こんな夢みたいな制度があったらなー、って考える。仮にもしも自分が会社起こすなら、これを制度化する。もちろん、賛同してくれる人を募って、だ。


だって、「人にモノ頼むのに自分の金払うのなんてヤダよ!」って人は、どう考えても「無能で向上心も無い輩」だから。


市場原理ってのは、もっとローカルでもっと自在な使い途があると思うんだけどなぁ。


written by iHatenaSync