やることが定まる
迷いというのは人を消耗させる。
なので自分がやることが定まると、それだけで安心する。消耗が止まり、不安が止まり、やすらぐだけでいいのだ。
そこに、自分がやることを決めることの価値の全てがある。やすらぐこと以外の価値は全て副次的なモノに過ぎない。
最近、自分が死ぬまで向かい続ける先がようやく見定まった。
それは目標や趣味や学習とかではなく、むしろ目標や趣味や学習は「死に至るまで向かい続ける先」を、生きる中で方向性として間違いなく持たせるために、都度微修正するための個別要素に過ぎない。
方向性が定まるということは、逆に言えば「何もする必要が無い」ということだ。なぜなら、「あなたは、死ぬまでにどこそこへ辿り着かなければいけない」というわけでもない。「目的を定めた」わけでなはく、あくまで「どの方向に進めばいい」と感覚したに過ぎないが、その方向に死ぬまで歩けばいいだけの話で、歩くうちに何が起きようが気を取られなければいい、という類の話なのだ。
「何々をしなければいけない」という縛りを解除すると、気が楽になるんだよ。