Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

他人と争うのとか

週末はなんかいろいろあった。
いや、特におれの人生の何が変わるわけでもないのだけど、まあ、なんつーか友人たちとの価値観の相違を感じる機会が多かった。


具体的に書くのは躊躇われるので、すげー抽象化すると、そのうちの1つは人間関係に対する姿勢とか。

まあ、アレだ。
いつもと変わらんアレだ。


おれは、あまり勝ち負けに執着が無いって自覚がある。勝ち負けにこだわる/こだわらない、どちらが良いとか悪いとかではなくて、良い意味でも悪い意味でも勝ち負けに執着が「持てない」。勝敗とか決めるのめんどくせー、おれの負けでいーよって匙投げちまうのは、純粋に悪いクセかも、とも思うけど。


んで、まあ友人の誰かが言うわけだよ。

「見下されるのは腹が立つんだよ。それも低レベルな奴らからだと特にな」

んでまあ、喧嘩する。まあ面と向かった喧嘩ならまだ良いよ。ちなみに「喧嘩両成敗」っつー言葉がある通り、喧嘩に発展した時点でおれはどちらにも非があると判断することにしている。最初に引き金引いたのがどちらだったとしてもだ。売り言葉を買った時点で、そいつは「自分が毛嫌いする低俗な連中」と同じ、低俗な穴のムジナだ。で、こともあろうか「確信無いけど、先に出鼻を挫いてやった」と得意気に言う始末。売ってない商品買おうとすんじゃねえよ。要らねえ火種起こすんじゃねえ。見えない敵にマシンガンぶっ放すのとかもー流行んないよ。

だから、それ聞かされておれは言った。
「おれに、何て声をかけて欲しいんだよ」

お前、よくやった!か?
それは痛快だな!とか?
お前と対立した連中の低俗さを一緒に罵って欲しいの?

んなこと言うわけねーじゃん。
無視出来なかった自分の至らなさを反省して1人で胸に留めとけよ、としか言えない。


負の感情をぶつけ合う争いは嫌いで、なんというか生産性が無い。自分の人生とか生死の危機が迫ってるってくらいの、切迫した理由が無いなら、あまり掛け合うべきじゃない。そりゃおれにだって苦手な人や態度、嫌いな人間の言動の2つや3つ…どころか挙げれば無数でキリが無いくらいある。でも、それに対して、「他人に腹立てて突っかかる」って、それこそキリが無いわけじゃん。「そういうのが苦手で腹の立つ自分」が変わらん限り、延々と腹立たしさの渦巻く狭い狭い世界に閉じ込められたままになる。


だからせめてさ、こんなことがあって腹が立ったんだ、と「闇雲に反撃する前に」おれに愚痴を吐けば良かったのに。それなら、まだ「まあ、そりゃ腹立つのも仕方ない」って同意も出来る。でも反撃して、もしも周囲との折り合いが悪くなって、それで仮に窮地に立たされて弱音吐かれても、おれは何とも声かけてやれないのだし。そんなの一切慰める気にもなれない。どう考えても自業自得だから。

「お前のそれは、人間的にどっちが上とか下とか、いつ解決すんの?そんな世界ランキングねえし、どこまで行っても上も下もいるよ?この世から、そういう"低俗な"人いなくなるまで?でも、絶対いなくならないよ?これからもずっと出会うよ?」


どうして、「他人と争いたがる」んだろうか。他人って自分の鏡だというけど、その「他人」は、「自分から見える位置にいる他人」でしかなくて、腹が立つってことはつまり、「その他人を腹の立つ位置から眺めてしまった」あるいは「そこから眺めた景色を受け入れられなかった」自分に非があるか、度量が無いんだよ。壊滅的に、根源的に性根の腐ったやつなんて、言ってもそうそうたくさんいるわけじゃない。

なんだったら、そんな「低俗なやつら」が登場するストーリーなんてそこらじゅうにある。ブックオフ行きゃ100円で売ってる。で、ストーリーのとても良いところは、そんな低俗なやつらにも、きちんとした「譲れない理由」があって、そんなやつらがみな苦しみながら生きていて、だからこそ何かと衝突と悲劇が起きてしまうのだと、いつもいつも懇切丁寧に教えてくれるところだ。これがストーリーの1番良いところだ。


そうするとさ、やっぱり「自分(の感覚)が正義」だなんて、"リアル"に思い込んだら負けなんだと思う。

じゃあ真に争うべきは、真っ先に気付かなきゃいけないことは何かって、自分の狭い心と対峙することなんじゃねえか。

狭量さ、短気、我儘、散漫さ、弱音、八つ当たり、油断、傲慢、妬み嫉み僻み、恨み辛み、言い訳、薄情、猜疑、自己への過不足評価…いくらでもぶっ倒す「敵」はいるんじゃねえの?

自分からはよく見えない自分っつー敵が、1番怖いんだよ。

はー、今日も頑張ろう。