Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

花鳥風月

花が咲いて、
鳥が飛んで、
風がそよぎ、
月が浮かぶ。

まあなんて雅。
って、これがそもそもおれが感じる息苦しさを生み出してんじゃないのか。
そんなこと考えた。

「花」が、咲くのか?
「鳥」が、飛ぶのか?
「風」が、吹くのか?
「月」が、輝くのか?

本当に、そうか?
だから、おれも「確固たるおれとして」あるんだろうか。マジか?

嘘だと思う。
口から出任せだと思う。
最初に言葉なんてものを思い付きやがったのは、アダムかイヴか、知恵の実喰わせたウロボロスか、伊邪那岐命だかなんだか知らんけどもさ。

花は咲く。種が植わり、太陽の光の下に、水と土壌の力で芽を吹く。葉は光合成により呼吸と一対のエネルギー循環を生じさせ、茎や蕾へと変成し、開花して実を付け、それを他の小動物が啄み、種を移動させ拡散していく。これの繰り返しだ。

じゃあ「花」が咲くのか?
花」って在るのか?


おれは呼吸をしている。
「酸素」や「窒素」や「二酸化炭素」の入り混じった「空気」を「肺」に吸い込み、「肺」から「血液」に溶かし込み、各「細胞」は「酸素」を消費して各々の活動に勤しんでいる。

これ、どこからどこまでが、「おれ」だ?

溶け込んだ「酸素」は、「おれ」か?
吸い込んだ「空気」は、「おれ」か?
ひとつの身体で繋がった「肺」は「おれの一部」で合ってるのか?片方の肺が潰れたら、「おれの一部」が無くなるのか?

爪伸びて「おれの一部が余分になった」ので、爪切って「おれの一部を削った」のか?

「おれ」を活かすために各々活動する「細胞」は、それぞれが「おれ」なの?


違うよね、という話。


「花が咲く」現象があって、だから「花」ってのは「春」に近い。ある現象の時間経過による変化点を示す名称に過ぎない。芽と花は一本の線で繋がっていて、「芽」と「花」と、各個別々の存在があるわけじゃない。

「種が植わって」
「根付いて」
「芽吹いて」
「葉緑の力を借りて」
「蕾へと成長して」
「開花して」
「結実して」
「種へ土へ還ってく」

そうして植物は巡り巡って「生きて」いる。
だから、その、どの時点も現象で、時間は決して止まらないけど、おれたちは時間を止まったように仮定して、その切り口を「種」や「根」や「芽」や「茎」や「葉」や「蕾」や「花」や「実」などが、それぞれ在ると誤解してしまう。そんなもん無い。在るのは生成変化の流転だけで、それは全て周囲の環境と連結されたネットワークがあるだけだ。

「生きている」というのは、もうそれだけで現象で、だから、おれ自身だって本当はただのネットワークの現象として「そう見える、自分を自分として感じる」だけだ。事実を根本的に勘違いしてる。


花が咲くのは土や水や光や他の全ての織り成すネットワーク現象。
鳥が飛ぶのは空や虫や木や他の全ての織り成すネットワーク現象。
風が吹くのは大気や重力や大地や全ての織り成すネットワーク現象。
月が輝くのは星や地球や視覚神経が織り成すネットワーク現象。

なんつーかさ、それ単体のみで「存在出来る」現象って、あるか?ねえだろ?1つも。

「ある現象」を花と呼び、
「ある現象」を鳥と呼び、
「ある現象」を風と呼び、
「ある現象」を月と呼ぶ。

「おれという現象」が、「そこにおれという確固たる存在として確立している」って誤解して、勘違いして、それを立て続けに続けまくってる。

花があって綺麗だなー。
鳥があって可愛いなー。
風があって涼しいなー。
月があって明るいなー。

そうやって現象が、現象を誤認して生きてるのがおれだと思うだよ。


だから、だからこんなに苦しいんじゃねえのか?

おれがいて。
おれはおれ以外の何者でもなくて。
おれは、あいつと違うから。
おれは、なんで報われないのか。
おれは、もっと得るべきだ。
おれは、損をしたくない。
おれは、間違ってない。
おれは、誰かよりも上だ。
おれは、歯車なんかじゃない。
おれは、おれだと認められたい。

おれは、おれは、おれはおれは…etc


…ってのがたぶん空の思想の中身。
「個」なんてねーよ。
「空」しかねーよ。
って感じ。

握った拳で誰彼構わず傷付けて自分が1番苦しんで、それより全て手放して開いた掌であるがままに受け取って楽になっちゃえよ的な感動系J-POP的な何か。

いや違うか。
まあ、でもこれ全部を実感として完全に体得して、その上で通常の常識の線上で社会生活をトレースするって、感覚的に想像出来ない。


ふぅ。
眠いけどここ2日ばかり情報量多かったのでなんかモヤモヤしてた。

ひとしきり書いたので満足したので週末だしネット徘徊しつつ寝る。