Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

経験のこと

何年、十何年ぶりの大雪により、土曜日は外に出られず、TSUTAYAで借りたCDを1日延滞してしまった。

……と、思いきや、大雪ゆえの1日延滞は免除してくれるらしい。好きだぜTSUTAYA


それで、今朝は積雪の中、駅へ向かっていて思ったことがある。

一面の雪景色、というか車道はかなりの割合で除雪されていて雪景色なんて風情でもないのだけど、歩道や細い私道は雪がたんまり残ってる。見える景色は、まあ確かに違うのだけど、それよりも落差が激しいのは、雪や凍結した路面で滑らないように迂回したり踏み込む場所に気を遣うことだった。

つまり、「同じ道で、見える景色が違うこと」よりも、「同じ道で、異なる歩き方をすること」の方が、ずっと新しい経験だなと気付いた。

よくよく考えてみると、仕事しようが、稽古しようが、本を読もうが散歩しようが、ゲームしようが音楽聴こうが、その大枠ってあんまり変わらない。どんな本読もうが、おれに見える視界は本の頁と活字の羅列で、何が大きく違うかって、頭の中に再生するストーリーと、それに伴う感情や思考の変化だけだ。仕事もまあ同じようなもんで、やってることの99%はいつもと同じで、あとは「異なるやり方」をしてみた時だけ、あるいはしなければいけなかった時だけ、それについて立ち止まって考える必要が出てくる。空手も同じで、稽古のメニューはいつも同じで、それよりも「自分が立てた課題を解決出来るか、そもそも課題を設定出来るのか」ってことの方が万倍重要で、それにより同じ稽古の内実が千変万化する。

経験ってのは、つまりそういう性質があるに違いない。「明日は今日とは違う日で、今日という日は二度とやって来ない」なんていうけど、これは「今日」をきちんと受け止めて、「明日」をきちんと意識して、そうして日々をきちんと経験して初めて有効な言葉なんだろう。

今日は、非常にストレスフルだった。
18時に電話取って、1時間、ずっと同じことを言葉を変え表現を変えて説明し続け、最終的に何の解決にもならない交渉が1件あった。目の前にサンドバッグあったら確実に速攻でぶっ叩きまくってる。履歴残しながら、己の話と相手の話を反芻し、どこに非があったのか考える。

「非がある」とか、「何が原因で誰が悪かったのか」だとか、そういうことは多分重要ではなくて、そんなことよりも同じことが起こり得ないシステムとか運用フローが必要だと本気で思った。「貴方が悪い」と論理的に説明し切れても、状況が改善しないからだ。先方も、当方も、「誰かの所為で何か問題が起きてしまうシステム」がどうにかならないと、どうにもならないんだと思う。

幸い、明日は休みなので、そんなこと微塵も考えずにダラっと過ごすつもりなのだけど、明後日からはこの続きに取り組まなければならない。「今日」と「明後日」が似たような終わり方をするなら、おれは今日も明後日も経験し切れなかったことになっちまう。「異なる歩き方や試し方」をしないと、それは「似たような一日」で終わってしまう。


まったく、どうしてくれようかね。



補足:
おれたちが「休日」ってものを求めてる、その本当の理由は、「最低コストで、(平日の)昨日と異なる経験をした気になれるから」だ。楽して、平日とまるで違う過ごし方になるから。そう錯覚するんだと思う。

「休日」と「休日」が、毎日毎日隣り合ってりゃ分かり易い。よほど能動的に動かないと、そう長く経たないうちに行き詰まる。

たぶん、そういうふうに出来てんだよ。