「とる」こと
iPhoneで音楽聴くためのアプリを、久しぶりに探してる。
歌詞が見られればいい。
あとは、アーティスト別、プレイリスト別に再生出来て、リピート・シャッフルかけられれば、それでいい。
ってことで久しぶりにApp Storeでミュージックカテゴリを彷徨ってた。
1つ、また1つと気になるアプリ見つけてはレビューを見る。なんか気になる。
「これはとるべき!」
「とった方がいいです」
「評判聞いてとりましたがすぐ削除しました」
「とっても損はしないですよ」
「とる」って何?
ダウンロードのことと気付くまで一瞬間が空いた。アプリダウンロードのことと思えば、大した抵抗は無いものの、小骨が喉に引っかかるような小さな違和感がある。
さらに、音楽プレーヤーのアプリを見ていると、まあ出てくる出てくる。「無料ダウンロード」って言葉の数々。それらも、アプリ自体には興味無いけれど、それを使う人たちのレビューが気になった。
「好きな曲がうまくとれないです」
「とれないので星1つ」
「とれる!とれる!もうこればっか使ってます!」
だから「とる」ってなんなんだよ……。ああダウンロードか…。おっちゃん若向けの言葉の感覚についていけんよ。
直訳として、「ダウンロード&インストール ≒ とる」であからさまな間違いは無いんだろうよ。でも、なんか違和感拭えない。
つまりさ、「ちょっと、そこにあるしょうゆとって」って感覚と同じなんだと思うわけです。「とる」は、買う・借りる・使う・利用する・所有する、そのどれともニュアンスが異なると思うわけです。アプリにせよ、楽曲にせよ。それは誰かが作ったもので、だから、自分ちにある、目の前にある生活用品をひょいと手に取るように、少なくともおれは「とる」感覚はなかなか持てないわけです。
「ダウンロードする」ってのは、まだ製作者とユーザーの間に境界線として機能する言葉だったんだなぁ。「とる」にはその境界線がほとんど無い気がする。
まあ別に偽善者ぶるつもりなんて毛頭無いけれど、若い人たちと日常の感覚にだいぶズレが出てんだなーって酷く実感が湧きました。