Negative Finder

気づいたり、再確認したり、思いついたこと書くスペース。日記兼用。

聴く

人との関わりは難しい。
とはいえ、「ここからここまで」と関係性の幅というか深さの範囲がある程度決まっていれば、そう苦ではない。職場の人間関係などがそれに当たる。

 

1月に異動した部署で、色々教わりながら仕事をこなしていたら、いつの間にか同じ課のメンバー以外でも仕事で絡む人たちと、けっこうタメ口で話せるようになっている。
数年前に、「お前の敬語は堅苦しいんだよ」と言ってくれた友人の言葉を思い出すと、あれが時間差で功を奏していると実感する。

 

だがまあ、そもそもは話し下手で、理解が早い方でもない。
むしろ聞きなれない言葉や用語が出るたびに、会話へ乗り遅れていくのを如実に実感する。

なので、相手が話していることを聞いて、理解できるまで聞いて、分からなければタイミング見て後からでも「あれってどういう意味です?」と聞いて、分かったと思ったつもりの自分が一番危険だと言い聞かせつつ何回か理解の薄皮を重ねるように何度も聞いて、それがいつの間にか深い理解とか関係に繋がるもんだと、この半年でだいぶ勉強になった。

そこまでいくと、何が問題で何が過不足なのか見えてくるから、そこから自分がどうしたいのか考えた時に「自分の意見」が持てるようになる。その意見を持った状態で誰かと会話をすると、「ああ、あれヤバいっすよね。どことどの部分をはや何とか整理しないと」とか、まあつまり「テキトーな一言」で話が噛み合うようになっていく。

「軽い言葉だけど会話の軸が噛み合う」ようになると、人は「あ、この人には気軽に話しかけられるぞ」と感じるようになるのか、わりと何かあると声を掛けてくれたり、分からないことを聞いてきたりするようになる。これがもしかすると「信頼を得る」ということなのではないかと最近思う。


まあ、なので、必要な「最初の一」は、「聞いて聞いて聞くこと」だということだ。
深く耳を傾けることを「聴く」というけれど、そういえば中国拳法に「聴勁」という力の表現がある。「勁」ってのは力の発生のことで、「力やエネルギー、相手の意図、現在の状態と状態の推移、重心の傾き、相手や自分自身の変化」を、皮膚を中心に感知することを指す。

耳鳴りだとか難聴だとかで、まあ耳はポンコツだけど、それでも「聴く」ことはできるものだと思った。